2006/9/22

横山秀次「半落ち」
いしいしんじ「ポーの話」
恩田陸「禁じられた楽園」



2006/9/11

灰谷健次郎「天の瞳 幼年編1.2」
宮部みゆき「あかんべえ」
森博嗣「フラッタ・リンツ・ライフ」
永江一石「Eコマースで勝者になる55の鉄則」



2006/9/5

市川拓司「そのときは彼によろしく」
泉基樹「精神科医がうつ病になった」
川嶋康男「椅子職人」



2006/8/29

よしもとばなな「王国 その1 アンドロメダ・ハイツ」
村上春樹「海辺のカフカ」
伊坂幸太郎「アヒルと鴨のロッカー」



2006/8/24

よしもとばなな「王国 その3 ひみつの花園」
森博嗣「探偵伯爵と僕」
森博嗣「どきどきフェノメノン」



2006/8/20

よしもとばなな「デッドエンドの思い出」
よしもとばなな「みずうみ」



2006/8/10

長嶋有「泣かない女はいない」



2006/7/31

記録をさぼっていましたが...

大崎善生「ロックンロール」
大崎善生「別れの後の静かな午後」
よしもとばなな「王国 その2 痛み、失われたものの影、そして魔法」
よしもとばなな「アルゼンチンババア」
中村航「100回泣くこと」
伊坂幸太郎「チルドレン」



2006/5/30

長嶋有「ジャージの二人」

大崎善生「パイロットフィッシュ」



2006/5/4

長嶋有「パラレル」

吉村萬壱「ハリガネムシ」

大崎善生「ドイツイエローあるいは広場の記憶」

表題作は「九月の四分の一」の続編です。
「広場の記憶」とはそのことを差しています。
モチーフがいずれも大変美しいです。



2006/4/22

盛田隆二「湾岸ラプソディー」



2006/4/22

白石一文「一瞬の光」

人と人との関係。
愛とは何なのか、優しさとは何なのか、
といった根源的なテーマを中心に据えてしまっている小説でした。
結果出来不出来に関わらず読まされてしまう。
無視できない小説です。



小川洋子「博士の愛した数式」

映画化された近作です。
博士がルートをかわいがる。
ルートに優しくする、数学を教える、ほめる。
小川洋子さんらしくない、この愛に満ちた二者の関係が心に残りました。



長嶋有「猛スピードで母は」

表題作と「サイドカーに犬」の二編が収められています。
大変な筆力だと感じました。
言語感覚が奇を衒うことなく、しかしとてもスマートです。

子どもの描写がすごくうまいです。
そして子どもの視点から描写される大人の姿もまた
かくあらまほしきものかなと思わせる、素敵なものです。

こんな風に人物を描くことは、大変なセンスが必要で、
実はさらにその人自身の人間に対する対し方のようなものも問われていて、
きっととてつもなく難しいのだろうと感じました。



大崎善生「九月の四分の一」

短編集。どれも佳作ですが、
表題作は格別に味わい深い、余韻の残る良作です。
「報われざるエリシオのために」もすばらしかった。
チェスを題材にした作品に、無意味に高尚なものを感じてしまうのは、
少し恥ずかしい現象です。



森博嗣「月は幽咽のデバイス」



2006/4/10

盛田隆二「散る。アウト」

装丁は川上成夫。
借金苦から路上生活者になり、
犯罪に巻き込まれ大陸に渡る男性。
お金に困っている様子が他人事とは思えず...

主人公が成り行きでモンゴルに入国することになり、
ダワというキャラクターが登場します。
このストーリーのヒロインですが、非常に印象に残る人物造形でした。
こんな人がいるのだろうか、という。。。

散る。アウトとは「Chill out」ということ。
凍てつく。熱狂の後の静寂、の意。

「仕事」が一つの終焉を向かえ、
主人公はフィリピンに向かいます。
それは逃亡といってもいい。
テーブルに両肘を付き、目を閉じ
彼の妻のことを思い出すところで、文章は途切れています。
このような運命の経過のあとにおいて、
人は生きていくことができないと思います。



2006/4/8

白石一文「草にすわる」
南木佳士「神かくし」

先月ほどの飢餓感はなく読書できているのですが、
すこし惰性のようで、つまらないです。

思うに「僕のなかの壊れていない部分」や
「私という運命について」、
「孤独かそれに等しいもの」、
「High and Dry」 といった作品に出会ったことで、
小説に、楽しく時間を過ごすこと以上のものを求めてしまっているのだと思います。
そんな読書体験は極めて貴重で、得がたいものだと十分に知っているわけですが、
一方で、そういった影響を自己に与えうるテキストに出会うことで、
現在の自己が構築する現実が乱されることに、
なんだか戸惑いがあるようです。
それは億劫になっている、ということとは少し違う感覚です。

本質的なことを描きえた文章に出会う喜びはかけがえのないものです。
しかし本当に大切なことはたぶん書物の中にないのだということが、
なぜかしらもう既に感じられている。

たぶんわたしという人格は、既に読むことで満たされることがないのだと思います。
本当のことを実践していかなければ、たぶん本当の感覚、
生の実感のようなものが捉えられないのではないかと。
わたしの乏しい読書で、どれほどの教養が身についているわけでもないわけで、
これは等身大の感覚に過ぎないのですが、
おそらく大切なことは、今からわたしが何をするか。
今日何を作るか、ということなのだと思います。



2006/4/4

白石一文「見えないドアと鶴の空」

2004年出版。比較的新しい著作です。
装丁は川上成夫、装画は作田えつ子。

以下の文章が書中末尾に添えられています。
「洒落た会話や思わせぶりな設定で
愛や苦しみ、やさしさやジョークをお手軽に
書き散らしただけの小説はもう必要ありません。
自分が一体何のために生まれ、生きているのか
それを真剣に一緒に考えてくれるのが、
本当の小説だと僕は信じています。 」

神秘的な現象についての描写が
わりと中心的に描かれており、
主題を拡散、曖昧にしてしまっているような気がしました。

脳性まひが治癒するとか
難聴が治癒するとかいうことが、安易に実現してしまい、
その代償がないことに、違和感を感じざるを得ませんでした。

これは個人の世界観の問題かもしれませんが、
思うに全ての事象は連綿と数珠つながりにつながっている。
ある現象が独立にアクションすることはないのだと思います。
何かを得ることは、もう一つの何かを手にしないということであり、
なにかに「なる」ということは、なにかで「なくなる」ということでもあると思うのです。
そしてその全ての事象、全ての現象が、かけがえない。
ある何かが正しくて、ある状態がそうあるべきだというようなものではなく、
すべての時、すべてのエージェント、すべてのオブジェクトが、
すべてのモーメントにおいて何者にも代え難い。

この世界の、すべての瞬間は代替不可能です。



2006/4/3

3月はたくさん本を読みました。

小川洋子「刺繍する少女」
小川洋子「ホテルアイリス」
小川洋子「ブラフマンの埋葬」
白石一文「僕のなかの壊れていない部分」
白石一文「わたしという運命について」
白石一文「不自由な心」
白石一文「すぐそばの彼方」
大崎義生「孤独か、それに等しいもの」
大崎善生「アジアンタムブルー」
森福都「セネシオ」
星野智幸「アルカロイド・ラヴァーズ」
津原泰水「赤い竪琴」
森博嗣「ナ・バ・テア」
森博嗣「ダウン・ツ・ヘブン」
森博嗣「φは壊れたね」
モブ・ノリオ「介護入門」
よしもとばなな「High and dry(はつ恋)」
村上春樹「約束された場所で(underground2)」
村上春樹「東京奇譚集」
舞城王太郎「煙か土か食い物」
中村航「ぐるぐるまわるすべり台」



2006/2/11

京極夏彦「百鬼徒然袋 -風」

どうして京極夏彦が講談社ノベルスからミステリーを書くことになったのか
その経緯はわからないのですが、
ほんとうに不思議です。

普通に新人賞に応募していても認知されていくのに
時間はかからなかったのではないかと思えます。
結果的に泉鏡花文学賞を受賞して、読者としても安心したわけですが。

この作品は初期からのキャラクター群を受け継いでいる、
「探偵小説」と題されたシリーズの中の一冊。
現在はこの集が最新刊です。

招き猫の縁起解きの下りがもっとも楽しかったです。
古鏡、面もそれぞれ魅力的な題材でしたが、
ストーリー重視の構成になっており、
薀蓄はややライトに抑えられていたようです。

しかし改めて考えてみると、
京極夏彦はエンタテイメントということにも、かなりのウェイトをもって
対応するだけの親切心をもっている、稀有な作家の一人ですね。
文体は安心できるだけの筆力を感じさせつつも
非常に読みやすく、説明も丁寧です。

益田=マスカマ=バカオロカ=・・・、はついにエチオピア人にまで発展してしまいます。
確かに神です。



2006/2/5

村上春樹/佐々木マキ「不思議な図書館」

こんな単行本あったかな、と手にとってしまいましたが
これは「回転木馬のデッドヒート」の最後に収まっていた短編のリメイクですね。たぶん。
でも微妙にラストが違うような気がする。
羊男と男の子は迷宮から抜け出して、
女の子はそこに留まる。
でも男の子の人物造形が少し違うような。
そして母親がラストで亡くなってしまうのではなかったような。
そのせいで作品に深みは増している印象です。
いや、何もかもあいまい過ぎるので
「回転木馬」も再読しようと思います。

「回転木馬」の序文には、村上春樹がこの文章を書くにあたっての
自己のスタンスを述べる下りがあります。(あったと記憶しています。)
その中にこういった意味合いの部分が。(同記憶。)
「文章を書くことで自分が抱えている問題が、何かしら解決したような気がしたとしても
それは気のせいだ。文章表現は基本的には問題を細分化するだけで何ももたらさないし、
それに付随する救いもない・・・」云々。
この言葉の呪いは今でもわたしを縛り続けています。
読んだ当時の年齢のせいもあったと思いますが、深い影響を受けました。



2006/1/31

舞城王太郎「みんな元気。」

5編からなる短編集。
表題作「みんな元気。」は中編です。
この作家の、特に短編は、だんだんとレイモンド・カーヴァーのような
アメリカの現代作家のテイストに近づいています。
いや、オブジェクトは全くジャパニーズサブカルチャーごりごりなんですが。。。

「我が家のトトロ」なんかが、典型的で、
マテリアルはポップ。命題は本質的。
家族的。視野が狭く深いです。

「みんな元気。〜 Cuckoos & The Invisible Devil」は問題作だと思います。
何度か読み返す予感があります。
空を飛ぶ夢が初期の精神分析学で
何のシンボルとされていたかという知識があれば
「透明魔人」がなんの比喩なのか、
枇杷の行動と「選択」の意味を解釈する一助になるようです。

「スクール・アタック・シンドローム」では
今までになかった作家の一面が。
成熟した精神が直面する試練を描いた小説だと思います。
想起したのは大江健三郎の某作。
(メキシコでソファーに座ったままマンゴーを食べ続けるという・・・)
あんなにもミステリーや暴力といったツールを好み
今でも好み続けているわけですが、
思弁といってもティーンエイジャーのような煩悶に過ぎなかったような気がしています。
しかしここにはある種の体験に基づく実感のようなものがある。
今後とも楽しみな作家です。



2006/1/22

綿矢りさ「インストール」

平行して中沢新一の「カイエ・ソバージュ」と南方熊楠の「十二支考」を読んでいたので、
これは致し方ないのだけれど、なんというか、さわやかすぎました。
逆にいえば気持ちはいい。
複雑で重厚なものが最上ではないわけですが、
今後作家として、さりげなさのなかに何をサンドイッチできるか。
鷺沢萠のような文章家になってくれるとうれしいですね。



2006/1/15

佐藤亜紀「雲雀」

「天使」の続編、補稿、小編といった4つの短編小説群です。
相変わらず硬質で格調の高い文体と、
説明しすぎないストイックなストーリーにメロメロです。